harustory’s diary

日々の思索、その物語

A氏の痛哭

  「いえいえいいんですよ。君は本当に気にしないでください。君は僕なんかのことで、こんな敗残者なんかの為に気をもむ必要なんか、まるで、まるでないのです!
  そもそもにして、人には人の苦悩を解決することは出来やしないのですよ。一体誰が真実作家の言葉を理会出来ていると思いますか?誰もわかりやしないのです。わかるはずがないのですよ。だって、彼等は、作家当人でなくって"どこぞのだれそれ"なんですから。

  なら、愛はどうだって?アガペーの美は?無論、それはありますよ。しかしアガペーは奇跡のような福音です。そのアガペーの愛が、奇跡が、人の苦悩を癒すのです。

  では己の意志とは?意志は自らの苦悩を相対化させるでしょうね、確かに。

  でも、こんなことはどうだっていいことです。宵越しの金です。泡。あっという間に気が付けば消え失せるのです。はは。

  ああ、こうした羅列は無意味です。僕は無意味を無意味に糊塗している。塗りたくって出来上がったものは何も無い。無。それはただの人間のあがきに過ぎませんよ。それ以上でないのです。

  しかし、あがきだって、ある意味では立派なもので美しくさえあるのです。僕は大好きです。僕はここで、ひたすらに苦しんでいる証を人にみせたいのです。それを、『ああ美しいな』とほんの一人でも思ってくれるなら、僕はそれで満足なのです。とても価値があるのです。欲します。

  願望するは、ただ確かに生きている自らの存在証明。『事実として、現実に自分という人間がこうして生きていましたよ』という印。存在証明の閲覧と理解の恣意的な強要。

   死に至る病は絶望?そう、絶望、不安、結句、精神です。心は身体を支配し束縛します。心は脳髄であり、そいつが僕をして強迫症状を引き起こすのなら、言葉が、助言が僕を愉悦させることはありません。

  『そりゃあ撞着ですよ。先程何を言っていましたか?』

  いいえ、これもまた真実なのです。言ったでしょう。人には人の苦悩はわからないんです。虚無です。絶望的思念です。まるでひぐらしのように僕はここに啼声をあげるのです。風情とも感ぜず、歓喜の歌とも思えないひぐらしの声です。

  誰かが言いました。『貴方はベートーヴェンを聴いてごらんなさい』と。ベートーヴェン?僕はまるで知りません。それとて啓示というわけではあるまい。ああ、 誰か寝てるときに僕の首を締めてくれる者がないだろうか?」