harustory’s diary

日々の思索、その物語

王魯彦の『秋夜』

王魯彦の『秋夜』



 極めて暗澹たる、「死に彩られた」小説。この「死」は作品世界に於いて円環を形成し、その楔は主人公に常に纏わりついて離れない。謂わば、主人公は死の世界に囲繞されている。主人公は幽界の中で現実との結合を消失し、死と地続きの特殊な磁場にいる。それは内面化された主人公の精神。
 

「絶え間なく犬が吠える声に、私は目を覚ました」。
朧げな物語はここより始まる。犬はここで如何なる意味を象徴するであろうか。犬は主人公に死の危険を感知させる存在であると同時に(これは後の描写でわかる。)それ以上の意味を担っている。犬の咆哮は人生の苦悩を、それでも救いを求める人間の凄愴で悲愴なる嘆願の叫びである。
犬はその痛哭の間隙を縫って吠えているように描かれる。作者は犬と人間の叫びを曖昧にさせている。犬の咆哮と人間の哀切、その境界線を希薄させ、鬼哭啾々たる慨嘆の調に潜むもう一つの訴えの所以。畢竟、それは呪詛の響。
「犬はいっそう激しく吠えた。もはや最初の悲しい鳴き声ではなく、凶暴な憤怒に満ちた声に変わっていた。」
主人公は何故にそう感じたか。次の行では
「いたたまれなくなった」と表白している。何故か。
主人公は戦渦にあって人を見殺しにでもしたのではないかと罪責する。そして、それを悔悟している。強迫観念的に過去の罪過に煩悶する人物こそが主人公であり、主人公の世界には死が始終纏わりついて離れない。その苦悶をシンボリックに、また幻想的に表出する手法として、救済と呪詛の錯綜した感情を犬の咆哮という印象的な技法に仮託させる。

死の暗黒と対比的に表現されるものが、作品中に点綴している「月光」であり、私達はその意味するところを捉える必要がある。光と影のさりげない描写を私達は見逃してはならない。
「蚊帳の中から覗いて見たが、真っ暗で何も見えない」。
この科白が作品の最初と最後に繰り返されるのは、この言葉が主人公の死の観念に囚われた心象風景を示唆している。死の闇と月光の光を具体的に描写しているシーンがある。それは蘭英という人物との会話からわかる。蘭英との問答をみてみよう。
「『今夜は月は出ているんだろう?星は?』
『いいえ。夜は暗いものよ。光なんてあるはずがないわ』、彼女は悲しそうに言った。私の心臓が突然ドキンと鳴った。」
蘭英は冷徹でどこかシニックな人間であり暗い影を内包している。そんな彼女が「光なんてあるわけない」と悲観品しながらもどこか虚無的であり、諦念さえ覚えるように言う。ここからは、彼女の胸中をみることができようが、それは主人公にとって彼女の存在が、彼女との過去がもはや、脈動する生きたものでないことを示している。
ところで、私はこの作品が死の観念に自縄自縛された主人公の精神世界を象徴的に描出した寓意譚であることについて述べてきたわけだが、死との紐帯を表すものとしては墓(墓地)もまたそうである。作品中、墓は主人公自身の死に対する畏怖の暗喩となっている。次の件はまるで死に包囲されているかの様な光景である。
「こんもりした小山のような墓が、いくつも私のまわりを取り囲んでいた」。「私はまわりじゅう墓に囲まれ、湿った草の上に横たわっていた」。
最後に冒頭述べた円環について一言する。この作品は夢と現の境界を失くすことによって、主人公を常に死の境地に追いやっている。夢の中では主人公は死の観念から逃れる術を持たない。「起きろ、目を覚ませ!」によって始まり、再びそれによって終わりゆく物語は、同時に新たな夢のような現実のような世界の招来でもある。かかる作用こそが円環であり、如上の構造は例えば夢野久作の『ドグラマグラ』にも類する技法である。