harustory’s diary

日々の思索、その物語

一年でゼロから早慶ダブル合格した高校教師の言

本日から、このブログにおいても学習(主に大学受験)についての内容も綴っていきたいと思う。その場合、タイトルにも表れているか、説得力を持たす為に自慢めいた表記をするケースも少なからずあることを先にことわっておく。


まず、下の画像を見てもらいたい。f:id:haruharu1103:20180829090654p:plainf:id:haruharu1103:20180829090720p:plain

これは早慶の志願者と合格者である。言うまでもなく、ごく一握りしか受からない。(慶應義塾大学は文系学部にすべて本格的な論述試験を課し、また実質的に二段階選抜方式を採用している(そうしないと論述試験を採点する時間が割けない。)ので、母集団のレベルは早稲田大学より高い。)

にもかかわらず、早稲田などのマンモス大学では合格者の数もまた多い為、さらには、今は情報が氾濫しているが為、からいかにも周囲が合格者だらけのように「錯覚」してしまう。無論それは錯覚である。


「そんな事は鹿爪らしくお前に指摘されるまでもない!言うまでもない事だ。それよりもお前は何が言いたいのだ。」

諸君はそう思うであろう。しかし、この、ともすれば忘れられがちな明々白々な事実を冒頭に述べておく事を僕は余計だとは思わない。以下、その理由について述べていく。

また少しだけ前置きをするが、これは塾や予備校(以下、「予備校」と表記する。)への非難でもなければ、そこに従事している諸先生方への敬意を欠いたものでもない。あくまで、僕の経験に起因する私見に過ぎない。胡乱な戯言と感じられる方々も多いであろう事を、僕は重々承知している。


これまで何度となくTwitterにて綴ってきたが、基本的に自分は参考書至上主義である。基本的、と付したのは西きょうじ先生の英作文は有益であったのと、参考書至上主義を前提とし、それを基軸とした授業のあり方を僕自身が模索し実践しようとしているからである。

世間的には自分は少数派だと思う。統計をとったわけではないが、進学校である勤務校の状況から推論的に帰納すると、7割くらいの方が予備校を利用しているのではないだろうか。実際、自分も予備校の自習室は多いに利用した1人である。

自分について言えば、予備校の自習室を利用する目的で代ゼミの単科講座を曜日がばらけるように取った。「取った以上、授業くらいはでるか。」と最初こそ思ったがすぐに受講をやめた。"講義をきいていたら落ちる!"そんな"危機感"を覚えたからだ。理由は「遅い。」これだけである。自分でやった方が最低20倍ははやく、また効率的にできると確信したのだ。

講座のレベルが低かったわけではない。代ゼミの英語で最もスピードが速いと言われる人気講師のハイレベル読解などである。それでも全然遅いのである。

僕が特別に利発だったわけでもないであろう。自分は冗談抜きでゼロからスタートやりはじめたのだから。(英語は速読英単語入門編から始めた。)


繰り返すが、僕は予備校を否定したいのではない。「塾や予備校の講座を受講するという行為に潜む"心理"に特段の注意をするべきである」というのが眼目である。

"心理"とは何か?それは、「正常化バイアス」である。これから二学期がはじまる。もう講座(単科)を締め切っている予備校も多いであろう。予備校、特に大手のそれには「必勝!早稲田大学特講‼︎」「ハイレベル慶應英語!」「徹底解析、慶應小論文!未知から既知へ。」「知の泉。早稲田現代文必勝ストラテジー」「スペシャル東大英語」「徹底解析、最難関大学古文」などなど、受験生の焦りや願望を刺激する魅力的な講座名がズラリと並んでいるだろう。カリキュラムか予備校で設定されておらず、受講したければ好きな講座を好きなだけ受講できる単科ゼミを取ろうとする受験生であれば、どれを取ろうか目を輝かせているかもしれない。そしてきっと、金銭が許すかぎり、できるだけ沢山受講したいと思う者も少なくないであろう。

ここに先の正常化バイアスがはたらく。沢山とることではない。繰り返すが、かかる魅惑的な講座を取るという「行為そのもの」である。

こうした講座を取る。すると、受験生心理としてはなんだか早稲田、慶應が近づいた"ような"気持ちになる。安くないお金をだし、授業を受けるにあたっては、予習をし、一流と喧伝されている講義を傾聴し、その後はしっかり復習するのだから当然の心理であろうという反駁があるかもしれない。

しかし、僕は、僕はだが、これは非常に危ういと考えている。Twitterでも再三再四述べてきたが、合理的学習を確立した自習者には絶対に!かなわないと確信しているからである。どうしたって早さ段違いだから。

「しかし、早慶クラスなら。」また半畳を入れたくなるかもしれない。だが、自分も高校教師ゆえわかるが、集団授業では早慶だろうと東大だろうと、下、つまり基礎を前提として講義せざるを得ない。何故なら、上、つまり応用を前提した座学などは不可能だから。それは各人がアウトプットしていかなければならぬフェーズだから。


なんであれ、講座を取る場合、ま目的と手段を間違えてはならない。間違えるわけないと思いながら間違えてしまう陥穽に非常に多くのものがはまっている。予習傾聴復習のサイクルで学習に満足してしまうからだ。なまじこのサイクルが大変なだけに厄介である。しかし、どんなに大変でも予備校生は、自学を一義、講義を副次と認識しなければ合格はあり得ないと僕は思っている。比率で言えば、予備校生"だからこそ"自学が7、講義が3くらいである必要があると考えている。自学の方が圧倒的に早いのであるから、実は予備校生は自学生より多くの学習時間を確保する必要があるという次第である。

冒頭に添付した数字が現実を突きつけているように、A.B.C.D.E.F.G…数えきれぬ程の予備校があり、非常に多くの受験生がそれら予備校に通っているであろうが、早稲田、慶應(に限定する必要もないが周囲に早慶志願者が多いので。)に合格できる人数はこれしかいないのである。A.B.C.D.E.F.G…etcの予備校がそれぞれ「必勝!早慶完全攻略への道!」を高らかに標榜していても。