harustory’s diary

日々の思索、その物語

父が不在の家庭

  「俺たちは親には頼れないんだからしっかりしてくれよ。」 

 ああ…。あの時分、お前はこんな風なことを言っていたね。僕らはさんざん我が家の親の愚かなさまをみてきたね…

 毎日毎日喧嘩を繰り返し怒号が響きわたる光景を長兄は憤りと落胆の念でみつめていたであろうし、僕は恐怖の念でみつめていた。 両親の絶え間なき罵り合いは、やがて僕が中学一年になる頃に家裁による離婚調停へと舞台をうつすようになり、程無くうちの両親は離婚した。 

  当時、離婚は周囲ではやや珍しいものであって、僕はその事実を周りには隠していたが、それは羞恥や陰口をおそれてというよりも、「あえて言う必要はない 」という面倒くささからであった。僕自身も「離婚」という事実を特に悲観していたわけでもなくむしろ恬然たる思いであった。(当時の周囲においては)若干珍しい家庭事情の当事者でありながらも、取り立てて「自分が不幸だ」などとは感じなかった。
 不幸は……辛苦の始まりは、離婚したにもかかわらず、父と母が経済的事情からであろうが同居しつづけたところにあった。同居離婚。それはつまりあの醜悪な、呪わしき罵声を以前と変わらずに聞かざるをえないことを意味した。 

  父の癇癪の矛先はいつだって、母だけでなく僕ら子供に対しても向けられた。兄達は理不尽な父の横暴に対抗する力を有していた。僕といえば…、僕はただ震えているだけだった。耳をふさぎ、現実の恐怖からただただ自分を遮断していた。それだけだった。それを繰り返していた。精神を守るために築いた僕の内的世界の囲繞を侵害し、冷酷な現実の環境に引き戻された際に父から何か意見を求められても、僕は父に何か言うことがあまりにも怖くていつもいつも黙ったままでいた。そんな僕に、父はただただ日常のストレスを繰り返しはきだし続けた。 
 精神的な変調を過度に感じるようになった中学3年の頃、僕はカウンセリングやロールシャッハーテストなど、自己の無意識を解き明かす精神療法を受けるようになった。僕は自分の病気があくまで環境とは関係のない、生来的な要因によって生じたと確信していたから歯牙にもかけなかったのだが、医者や臨床心理士はよく、僕の病気は、その起因として両親の不仲にもとづく繰り返しの喧嘩があることを指摘していた。
  いつまでたっても治らない僕の病気に不安感をおぼえていた父は、診察に同行し医師の所見をきいて良心の呵責に襲われた。医師によって伝えられる「息子の病気には父へのトラウマがある」との見解が、父をして自責の念に駆らせていったのだ。
 
「お前をそんな風にしてしまって悪かったな。」。


  大学に入学した僕に父はそう言い放った。
 これを僕は偽善だと感じた。この言葉が強すぎるとしたら、「勝手な言い分だ」と、その時僕は強く感じた。この瞬間の、沸き上がる怒りと憎しみと悲しみの混じりあった感情の強烈さは今でもはっきりと感じることができる。
 
  決して変わることのなかった日常。決して終わることのなかった争い。それはどんなにか僕を苦しめ続けただろうか。掴みあい罵りあう両親の横でどれ程僕が恐怖しただろうか。祖父母に嘆願しながら、どれだけ僕がこの家の静寂を切望していただろうか。
 父はそんな僕らの思いなど一顧だにせず蹂躙し、暴君として振るまいつづけた。

  それを今更……。父が以前とは違った変容をみせていてくれたなら僕の思いも違ったのであろうが、そういう態度が一時の気まぐれに過ぎないなんてことは既にわかりすぎるほどわかっていたんだ。実際、そう言ったあとも父は相変わらず母とすれちがうたびに、必要欠かすべからざる用件で話をするたびに、ほぼ必ず喧嘩を繰り返した。

 僕はこの文章のなかで「繰り返し」という言葉を何度か意識的に使用した。それほど家では両親に端を発した負の連鎖が繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し行われ続けた。

 家には無数の穴が壁にあいている。家に来たことある方は一つでも気が付いていたであろうか。僕の部屋のドアを開けたところの正面の壁にも穴が一つある。今は『アダムの創造』のポスターで塞いでいるが、その穴は僕の部屋の目の前で両親が取っ組み合いの喧嘩をしている時に、理性を失った僕が壁を殴ってあけたものだ。
 どうか想像してみてほしい。自分の親が自分の目の前で、つまり子供の眼前で口喧嘩ではなく掴みあいの、父が母をビンタをし、母が泣きながら爪で父の腕や肩をひっかき、そして服が使い物にならなくなるくらいまで取っ組み合っては下着が露出している姿をみているときの、僕の悲哀と羞恥と憐憫と憤怒と狂気と失望ではりさけそうになる抑えようのない感情を。女性が、それも自分の母親が正にその場で容赦なく打擲されているその事実を。そして泣き叫びながら呪詛の言葉を吐きかけているというその事実を。この非現実感を。


「俺たちは生あるかぎり生きつづけなければならないんだから」

ああ、そうだな兄さん…