harustory’s diary

日々の思索、その物語

いろいろー

 文明開化による近代の曙光は、同時に従来からの小説の在り方、概念をを変容させるものとなった。近世までの大衆文学である所謂読本、人情本が徐々に衰退していく過程で、坪内逍遥は『小説神髄』に於いて、小説の方法論として「模写」及び「写実」を措定し、近代文学が定立すべき小説の概念というものを近世文学の批判的受容により、そのなかで創出していくこととなった。逍遥は、小説を夢想的で新奇な設定を用いる「ロマンス」から、ありのままの現実の諸相を映し出すものとしての稗史的な「ノベル」へと修正させていくことを企図していた。実際、江戸時代作家の滝沢馬琴が著し読本の華とされた『南総里見八犬伝』に於いて語られた因果応報・勧善懲悪の理念は、彼の虚飾を駆使した文学技法と相俟って逍遥によって批判されている。このことは読本の形式が逍遥にとって小説の本質足るものではないことを示している。

 その一方で人情本に関しては立場が異なる。確かに逍遥を端緒とする近代小説の自覚は、国家の近代化に伴う政治意識の高揚やヨーロッパ文化の影響等の社会文化史的観点から、近世までの文学とその内実を異にするが、逍遥の提起する写実主義には一般大衆全体の生活を主眼とし、抽象する人情本がその下地となっていることもまた事実でありそのことは注目すべきことである。社会に生きる人々の風俗、世態を描破することは、逍遥の小説信条に影響される尾崎紅葉二葉亭四迷等の作品によって代表される自然主義文学の作法と通底している。
 
 紅葉の作品姿勢は、社会のあらゆる側面から題材を集め、それを作品の中に結実させることによって現実の表象をそのまま浮き彫りにさせるところに神髄があった。代表作『金色夜叉』は、金に目が眩み許婚たる主人公の男の下を去る宮の姿を通して、拝金主義的な近代の暗部な姿が社会に蔓延しつつあることに警鐘を鳴らしたリアリズム小説とも把握出来得るであろうし、また主人公貫一と宮との齟齬を通して「近代的個我」の問題を見て取ることも可能といえよう。如上の意味内容が、逍遥に始まる近代小説の在り方と地続きになっていることは、近代の合理主義的また個人主義的なその実相をありのままに写し出すことを要諦とする彼の小説観を鑑みたとき確かめられよう。
 
 四迷は評論「小説総論」で、物事を写実的に捉えるという行為は現象を追随する行為ではなく、そこには「本質を追求する態度」がなければならないと明確にしているが、これは彼が、小説の一義としてただリアリスティックに現実の世相を文字化するのではなく、現実と個人との関係性の中で、其々の個がどのように生きるべきかという「内面化」を志向していたことを示唆している。日本文学者越智治雄は、かかる内面への凝視が近代小説の要素に具備されているとき、その内面化の過程を支えるものにロマンスの形式があったと指摘する。彼によれば、逍遥の小説作品に於いては、ノベルの内実をロマンスが支えていたことが発見されると指摘するが、これは理想と現実の相克に煩悶する個人の精神の内奥を描出しようとしたその帰趨に因るものであり、逍遥の作品のみならず四迷の『浮雲』や鴎外の『舞姫』等に於いても然りであると言う。

 『浮雲』では、文三とお勢が社会の混迷する状況に振り回されるが、これは近代社会のパラダイムシフトを提示するとともにその社会に生きる個々人までを穿っている。写実としての小説の役割は本質を模索するための方途足るべきであるという四迷の主張は、ノベルの構造をロマンスの外枠によって記述することにより表現表出される個人の内面性という点に主眼が求められる。畢竟するに、それは、逍遥の『小説神髄』に端を発するノベルとしての近代小説が外面的な写実主義に留まらず、逍遥自身が否定していたロマンスの要素も少なからず内包することによって近代の実相を克明にしていく過程まで敷衍されるわけである。