harustory’s diary

日々の思索、その物語

知らない

平田教授の声が響き渡る大教室の中、彼は、ぼんやりとしながら、携帯のボタンを押し、出てくる予測変換の言葉をみていた。
 多くの学生達が十人十色の様をみせている。あるものはスマホを。あるものは後部座席で談笑にふけ、また別のものは迫る「公務員試験」 の為に内職をしている。教室の端を眺めてみる。その一隅では、成仏出来ない首無しの幽鬼が現世に突如、大挙としておとないを告げにきた如く、誰もが首をしなだらせては見事なまで綺麗に寝ている。「成程これは合理的だぞ。どれ、僕も午後の飲み会に備えて一眠り、惰眠をむさぼるといきましょうか。」。最後の一瞥を教壇にくれようと眺めると、前方彼方の取り巻き連が物識り顔で鹿爪らしく教授先生様の御託宣を一言一句たり漏らすまいとノート作成に余念なき様子である。 
〈成程、これこそが大学という英知の場か。ここにおいて、ニーチェはその思想の全貌を表し、アウグスティヌスは全てを告白し、ドストエフスキーの神義論は解決をみるのか。成程成程。〉 
「イギリス功利主義や社会契約論等に基づいた現代的自由論解釈については、思想家ですとベンサム、ミル、ルソー、バークリなどをこの講義では取り上げます。」平田教授の講義が熱を帯びる。
 「ちなみにデカルトですが、彼はコギトを方法的懐疑によって導き出し、それを知識の源泉としました。しかし、精神を身体と分離させ世界と隔離されたものとみなしたところに彼の理論の問題があります。コギトとは『疑っているこの私』、つまり私自身の思惟を意味します。有名な『われ思うゆえにわれあり』というやつですね。
 次にロックですが、彼は経験に知識の源泉を求めました。経験が観念となり、それを組み合わせて思惟が獲得されると彼は考えたのです。そして経験される事物には一次性質と二次性質があり、事物そのものに属する一次性質にロックは知識の絶対性を付与しました。しかしロックのこの考えはその後のバークリなどにより事物は分類できないものとして批判されるに至ります。」
退屈極まりない授業。彼は既に教授が何を言っているのかさっぱりわからなかった。わかろうとしなかったのである。

 「えー、ここでデカルトスピノザライプニッツの自然観の違いを把握することは重要です。
 デカルトは精神の属性を『思惟』、物体、身体の属性を『延長』とに分類し、延長としての物質的事物の総体として自然全体をくまなく延長と捉えました。つまり、デカルトにとって自然はただの物質に過ぎずそれは一つの機械でしかないのです。これが彼の機械論的自然観といわれるものです。スピノザは自然のうちに神を認める『神即自然』の汎神論的自然観を確立しました。神である自然の絶対無限の力能を自己の本質としてのコナトゥスを通して表現することによって、人間を含めた万物の自己保存と活動の関係を説明したのです。ライプニッツは全存在が各々のモナドの力によって存在しつつ、その表現作用の段階によって階層的秩序を形成するという階層的自然観を確立させました。」
彼は、いい加減に教室を出て、本屋にでも行こうとした。堪らない。無意味だ。そんな想念が彼を駆り立てていた。
 「えー、次に先週の講義で生徒諸君から質問があったカントの認識論の特徴と意義に関して説明します。カント認識論の特徴としては、所謂『コペルニクス的転回』が挙げられます。これは従来の、認識が対象に従うという発想から、対象が認識に従う、とした彼独自の発想であります。カントは感性と悟性という認識における二つの幹を設定し、感性による直観と悟性による思惟によって認識が可能になると述べます。感性には空間、時間の形式が、悟性にはカテゴリーが備わり、この二つのものによって対象は現象として現われるのです。ここには認識の外側に在る「物自体」が前提されており、この「現象」と「物自体」という区別に認識の外に在る形而上的な問題を提起させたところに彼の認識論の意義があるといえます。」
うんざりしながら、彼はノートや筆箱をバッグにつっこむ。すると、前方に位置取っていたあの取り巻き連が平田教授を満足させようと質問を投げ掛ける。
 「先生、近代的自然観及び人間観は如何なる事態を齎し、そしてその事態を哲学者たちはどのようにして乗り越えようとしたのでしょうか?」
〈知るもんか!〉彼はいらいらしながら思った。
曰く「ではお答えしましょう。近代の自然観は自己保存、これはコナトゥスのことで  
すね、それを絶対視するために全体主義に陥ってしまいます。これを乗り越えるためには、対象性の倫理から非対称の倫理へと移行し『コナトゥスの彼方へ』脱出する必要があると例えばレヴィナスなどは言っております。さらにネスは自然と文明の宥和、自然と人間及び人間と人間の支配なき関係というユートピアへの希求によって近代的自然観を乗り越えようとしました。」
取り巻き連は充実した気色を滲ませながら、莞爾と笑い頷いては御礼を言っていた。
〈馬鹿馬鹿しいっ!!教授先生達はデカルトやらカントやらコナトゥスやらがなきゃならないんだっ!!そうしなきゃ自分達のパンがなくなるからな!彼等は自分の『研究』を、殊更に深刻ぶって、何かまるでとてつもない大事業を成し遂げた者が演説するかの様に語るんだ。語り尽すんだ。そうして「論文」なるもので衆目を幻惑している。くだらない!ああ、くだらない!なにもかもがくだらないんだっ!!〉