harustory’s diary

日々の思索、その物語

ベートーヴェンの生涯

 この苦患のはてに何が在るであろうか。知る由も無い。だが、この苦しみが、最後、人の為になれたらと願う。私は、私の苦しみは、それ故に生まれてきたような気がする。

 
 「人生は地獄よりも地獄的である」

これは芥川龍之介侏儒の言葉』の有名な一節である。「地獄的か」そう自嘲したくなる。この生にどんな意味があるのか私にはわからない。これが地獄的というやつならば、私は芥川を卓見に思う。
 それでも、私は私自身の言葉に従いたい。苦しみをただの苦しみの為にのみしたくない。
 かつて、長兄から「苦悩というのはベートーヴェンの様な生涯を言うのだ。」と言われたことがある。高校生の頃だった。当時から私は強迫念慮に苦しんでいたから、その憂苦を兄に吐き出していたのであろうか。如何なる状況下で発せられたものか今は忘却された。
 ベートーヴェンは知人に宛てた手紙のなかで表白している。
 
 「人間はまだ何か善行をすることができる限りは自ら進んで人生から去ってはならぬ、という言葉をどこかで読んでいなかったら、ぼくはもうとっくにこの世にはいなかったであろう-もちろん自分自身の手によって」
 
 そして、自らのノートには次のように書き記している。

 「服従すること、おまえの運命にどこまでも服従すること。おまえはもはや自分のために存在するということはできないのだ。単に他人のためにしか存在できないのだ。おまえにとっては、おまえの芸術の中にしかもはや幸福はないのだ。おお、神さま、自分に打ち勝つ力を私にお与え下さい!」

 なんという悲壮な決意であろうか!須く偉大な芸術家にはこのような気質と覚悟が備わっていなければならぬと私は考えており、そしてそれは実際に生きた彼等の歩みの中で裏付けられている。ロマン・ロランは語る。

 「思想あるいは力によって勝った人々を、私は英雄とは呼ばない。心によって偉大であった人々だけを、私は英雄と呼ぶのである」と。

 私は苦しい。くるしい。クルシイ…。ああ、生きることはなんと辛いことであろうか。だが、この苦しみだけが私にきこえさせる。この世界の片隅で慟哭する孤独な魂の叫びの数々を。寂寥を。呻吟を。
 この手を伸ばそう。そっと触れるように優しく。それが私の生きる意味とならんことを祈る。