harustory’s diary

日々の思索、その物語

乾坤一擲

私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。
                                                    夏目漱石『こころ』


  ここ数年、私は、多少誇張するならば「決死の覚悟」とも形容すべきであろうか、斯く気概でもって自らの在り様について吐露したり、自分が書きたいと考えているものに関して表白してきたり、述べてきたりした。

  今、乾坤一擲の覚悟でもって、文筆ならば文筆を、ある種の決断を迫る決定的行為ならばその行為をたとえ一度であったとしても実行する意志を私は望んでいる。一方では、別の自分が、不安や怯懦から、行為の実現に掣肘を加える。内側に分有された「もう一人」が厳然と存在しているのを私は常に見つめ続けている。そいつは、愚かではある。が、無視することを許さぬ検閲者として歯止めをかけている。

 誤解を恐れずに言えば、いかに醜悪で下劣なものであったとしても、それが己の信念に殉ずる程の断固たる決意によって放出されたものであるなら、その情意表出には胸を打つものがある、そう私は考えている。ある者の有する思想に私が嫌悪しようと、そこに備わる思想が揺ぎ無い確信に縁取られていると感じられたとき、「醇乎たる思想を抱懐している」という正にそのことが私をしてある種の尊敬とまた嫉妬をも与える。
 

  私は揺り籠から「迷い続ける者」であった。しかし、それを墓場まで持っていくつもりは毫もない。もう、真の行為者と、あの敬愛する三島由紀夫の如く、知行合一を実践しなければならない。

 ・考え抜いた結果、自己の考えを寄る辺と出来なかった。

・思惟され導かれしものに己の行動を託す勇気が無かった。

・言動不一致とも形容すべきか、自らをもってして自らを措定する存在者たらんと渇望しながら、理性者としての自己に忠実足り得なかった。

・臆病の業火に責められ煩悶し、引き裂かれながら自縄自縛の陥穽に嵌った。


…、そんな自分は、もう、火に、焚べてしまえばいい。

 
 私はこの場所で、赤誠な魂の赴くまま、一種の自叙伝を提示するであろう。

  何故か。それは、この場所は私が胸中の深い一隅で長年願望していた自己表白をするに相応しい壇上であると考える所以である。それ故にこそ、これまでの投稿に於いても私は自意識の抵抗を受けつつ、心中の検閲者の前で丁々発止しながら私の精一杯を開陳してきたつもりである。たとえ一切でなくとも自分の思念に苦しみ、考えに疑団を呈しながら、絶えず漏洩し続ける意識の中で私は私の「素直」を留めてきた。そして、この度に於いてはそれを更に一歩突き進め、私にとって「始まりの書」とも自評すべき一篇を起こしたく願う。

 しかし、己が畢生の大事業はここではない。私は誰の為でもない私自身と、どこかの他者達の為に紡ぐ私の『カラマーゾフの兄弟』を執筆する!

  慶應義塾大学時代の私の恩師は仰った。「貴方のような人が作家にならなくてはならないのです!」と。「貴方の作品の一読者となることを待ち望んでいます!」と。私が本気で決意しペンを持って白紙に綴り始めた時、その言葉は、思想は、漱石の『こころ』の先生のように、私を超えて、この世界に生きる誰かに届き得る可能性を残すものとなると信じている。