harustory’s diary

日々の思索、その物語

ひぐらしのなく頃に-北条悟史の物語-

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わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。
芥川龍之介侏儒の言葉



雛見沢症候群」。それはひぐらしのなく頃に』という作品中の架空の風土病。発生には幾つか要因が考えられるが、その一つに精神的変調がある。

  登場人物の一人、北条悟史は心優しき青年であった。両親が他界した為に妹の沙都子と一緒に叔父夫婦のもとに身を寄せていたが、そこで兄妹二人は叔父夫婦の苛烈な虐待を受けることとなり、徐々に精神的に追い詰められていくこととなる。f:id:haruharu1103:20180301195534j:plain
  やがて、精神的限界を呈した悟史は虐待されている妹を助ける為に叔母を撲殺するという凄惨な事件を引き起こすこととなる。この時、彼の心はもはやぼろぼろであった。そして悟史は雛見沢症候群を発症するに至る…。
  この病は症状の段階があるが、重篤なものでは極度の人間不信と疑心暗鬼、妄想等を呈する。悟史は末期症状であった。
 悟史は自分が撲殺した叔母「らしき」人の姿をたまたま見かける。そして「あれは叔母さんではないか」とふと思う。悟史は、はじめは本当にただ「ふと」そう「感じた」だけだった。けれど、やがてその微細な感覚、小さな不安めいたものは肥大し、現実的な物語として彼の内部で脈動し始めて、「生きた思考」となり彼のなかで「確かな事実」に歪曲されていく。
  そうして、悟史は叔母さんのはずがない悟史の目に映る叔母さんに似ていると感じられる他人を叔母さんと認識するに至る。妹の誕生日プレゼントを買う為のお金で自分一人どこか遠くへ逃げようと思ってしまった罪の意識はまた、彼をして自責の念に駆らせ発狂寸前にさせる。彼は自らの首をガリガリガリガリと血が出るまで掻き毟る。

「…ごめんなさい…ごめん沙都子ごめん…」
「かゆい…痒い…かゆい…」
  苦悶の声が響き渡る。

 神経とはある対象に対して反応する心の働きである。過敏な意識はときにとらわれの観念となり、認知を歪める。精神医学的タームでは「認知の歪み」と言われる。
  ところで、「森田療法」の創始者精神科医森田正馬は「神経質」という概念を分類したが、そのなかに強迫性障害(OCD Obsessive compulsive disorder)を含めている。
  北条悟史が呈した雛見沢症候群に於ける幻覚、被害妄想は統合失調症との類似が把握出来るが、ここにはOCDスペクトラムもみられる。そもそも二つの病理には顕在する現象的に重なり合う点がある。相違点は自覚か無自覚かを判断基準とするのがよいが、その見地からみれば、北条悟史は統合失調症を主症状とするのが医学的所見であろう。
 しかし、神経というやつは魔物である。そいつは正常のなかに常に潜在している。いや、そもそもにして、正常と異常の境などは極めて曖昧模糊としているのだ。
  神経は微細な揺らぎで過度に反応する。少し神経質に傾斜すれば、僕達の心性はすぐにでも強迫観念的症状を呈する。それは、北条悟史と同じような人間不信であったり、それによる疑心暗鬼であったり、被害妄想であったり。たとえこれら観念が統合失調症スペクトラムとは峻別されるとしても、この観念には強迫的神経質の因子が胎生している。
  だが、かかるケースが雛見沢症候群と相違するのは、「信じたい」という願いがあること。被害妄想が凡そ荒唐無稽であると論駁する理性が疾駆することである。
  アンビバレントな二つの背反する想念、一方は情念的なもの、一方は理性的なもの、それらが犇めき合って混乱させている状態が強迫意識なのである。
  強迫観念的症状、その意識、それと現象的に類似した一面をもつ統合失調症(北条悟史の雛見沢症候群的態様)は対岸の火事では無い。それは前述したように僕等のなかに潜んでいる。北条悟史の物語は僕達の物語と懸隔していない。むしろ、北条悟史の悲劇譚は僕等のストーリーとオーバーラップし得るのだ。f:id:haruharu1103:20180301202604j:plain


  強迫念慮に苦悩する者へ、どこかの北条悟史へ僕は届ける。

  キミは勝手に自分で悪い物語を創作しているだけなのだと、うんざりする程に理解しているはずだ。そのような妄想は、キミ自身によって、何も無いところから生成された架空の物質ということを知悉している。そして、その物質は可塑的であり、キミのイメージ次第でいくらでも悪いように変化することをも。
 キミは自分に問いかける。キミの疑心暗鬼、パラノイア的な観念は「自分自身でそうなるようにしむけた結果、本来無であるはずの所から生じた虚像であるのか、そうでないのか」ということを。
  もし、創作されたストーリーなどではないとキミが不安がるならば、そう不安するに足る要素、根拠がそこに存在しているはずである。ではその根拠とは?それはキミのネガティブな創作癖を憑拠としているに過ぎないのではないだろうか。
  畢竟、キミの思考に従えば何だって、どこでだって荒唐無稽な悲劇譚が生産され続けてしまう。北条悟史がそうであったように。
 頭に浮かぶ負の念慮を児戯とし、もう放置しておこうと試みる。無理に理性で説得しようとせず「これは私のペシミスティックな気苦労が私をして滅茶苦茶にイメージさせる物語なのだ」と、せいぜいこんな程度で折り合いをつけ、冷静に、悠然と、達観していようと試みるとよい。それがキミの物語を変革させるはずだ!
  繰り返すが、キミの思考はいくらでも悪い物語を創ってしまう。そうしていつでもそれを現実と混同させることが出来る。しかしそれは只の物語なんだ。f:id:haruharu1103:20180301202456j:plain