harustory’s diary

日々の思索、その物語

就職

あれは確か暑い夏の時分。蝉の鳴き声が忙しなく響いては、その儚き命を、おのが存在の宿命を痛哭しているような日。教育実習を終えた僕は、教員採用試験を受けること(翌年に受け一次学科合格)f:id:haruharu1103:20180301185441j:plainも、私立学校を調べることも、一般企業に就職しようとすることも、資格を取って何か試験を受けようということもしなかった。つまりは、ぶらぶらと放恣な生活を送っていた。


  学生の身分ではあったが、レポートはあらかた済ませてしまっていたし、テストや卒論は直前にやれば十分であったので(卒論はドストエフスキー研究を、正に"研究"といって躊躇わないレベルのものを昔からしていたので文献を渉猟してはコピーをとっておくだけで準備は万端であった。)所在無い日々を満喫できたはずであった。
 しかし、世界は僕を小さな暗い世界へと押し込んでいった。いや、僕が溟濛な世界に自ら入り込んでいったのかもしれない。人々との交際を絶ち、孤愁のなかでうっとりとした悦を感じる。そんな自己陶酔の倒錯美、甘美なロマンに浴していたのかもしれない。
  それでも、内側から垣間見る世界は光彩陸離たる華飾さと健全さを放っていた。そして、なによりも"安定"していた。逆に、僕の地盤はぐらぐらとしていた。その地面は、今にも深淵に、二度と這い上がることの許されない本当の闇に落ちんばかりの陥穽に続いていそうであった。その奈落を僕は恐れた。

  爾来、僕は己の身分を安定させることにした。然るに、僕の頭に所謂「普通の就職」というものは毫も頭を過らなかった。如何せん、幼少の頃から将来に対するヴィジョンというものが僕にはまるでなかったのだ。世に産み落とされ、「さあ、生きなさい」と告げられたようなものであった。

「どうやって、どうやって生きればいいの?」

  そんなことを聞ける相手などいるはずもなかった。だから、僕にとって就職とは僕の内に在り、固着されていた不動の世界(僕の世界認識)から見上げたとき、それは全くの別天地にある天涯であった。僕の現実世界から、そいつはあまりに隔絶されていた。

 ふと、脳裏に「教会」という文字が浮かんだ。僕は2002年頃、一人長崎へ旅にでかけたことがある。中学3年の大冒険である。それは教会を辿る目的のものであった。

  長崎はキリスト教布教の中心地であるが、島原の乱をみるまでもなく殉教者の悲史が刻まれた地でもある。僕はそんな布教と弾圧の歴史をもつ長崎を一人訪ねたく思った。隠れキリシタンの集落が点在していた五島列島には行けなかったが、内地の教会は概ね足を運び、その荘厳さと静謐を肌で感じた。
  僕はその中学生の時分を回顧した。そうして、教会で働くことを夢想した。このあらましは現実的な色彩をもって鮮やかにイメージされ、僕を行動に駆り立てていく。そこには以前、小説で読んだ或るエピソードの働きかけもあった。

  或る男は医師であった。精神科医であるその男は、フロイトユングを研究しながら、自らの内に潜む不可解な現象を科学的に解明しようと試みていた。  

  しかし、フロイトユングの方法論では自分に起きる体験を解き明かすことが出来ないと悟ったその男は医者を辞め、やがて途方にくれる。

  そんな折、その男に声をかけてきたのが一人の牧師であった。牧師は自分の教会に居候することを提案する。飲食もままならない、糊口をしのぐ方策もない当てないその男にとって、牧師の誘いはまさに渡りに船であった。


 空想に耽った僕は、いつしかその空想が現実的な物語として肥大していくのを実感した。自分がキリスト教に並々ならぬ関心を抱いていること、小説のこと、そんなことを考えているうちに、その物語は僕をして近辺の教会の門を片端から叩かせた。日曜礼拝に行かせた。聖書講読会にも列席させた。
  しかし結局、教会勤めは破綻に終わった。キリスト教への信仰と懐疑の狭間で苦しむ僕には、教会もまた別天地であったのだ。

  翌年、僕はとある女子校に採用が決まり、教員生活をスタートさせる事になった。