harustory’s diary

日々の思索、その物語

マルメラードフの告白

                はじめに

  ドストエフスキー研究において、僕は一廉の人物と思うが、これは余計な一文かもしれない。

  そう懸念しながら、文章全体の色彩を濁らせるやもしれぬと思いながら冒頭に記すのは、これより叙する、長々しい引用を含めた全てを単なる既読者の為の月並みな文芸批評に落としたくないからである。そして、『罪と罰』という、僕がドストエフスキーにおいて、あの『カラマーゾフの兄弟』以上に愛する作品に対してこめた僕の切実な心を感じ取ってほしいからである。


  マルメラードフの酒場での長広舌は『罪と罰』全体の主題を貫く。彼の絶望的な、それでいて聴く者を身震いさせてしまう鬼哭啾々たる哀切に満ちた告白は、ラスコーリニコフ自身が「醜悪」「愚劣」と痛罵した彼の妄想を再び「現実的な思想」へと引き上げ、彼の社会に対する怒り、義憤を呼び起こすことになる。それは直截的にここで示されているわけではなく、その後マルメラードフ家に赴くとき婉曲的に提示されるに過ぎないが、彼の「殺人遂行の契機」、その最初の具体的な接点としてマルメラードフとラスコーリニコフの出会いは本作品において極めて重要である。

 
 
  「なあ、学生さん」と彼はほとんど勝ち誇ったような調子ではじめた。
「貧は悪徳ならずというのは、真理ですなあ。わたしも酔っぱらうのが徳行でないのは、百も承知しとります。いや、そのほうがいっそう真理なくらいです。ところで、洗うがごとき赤貧となるとね、学生さん、洗うがごとき赤貧となると―これは不徳ですな。貧乏のうちは、持って生まれた感情の高潔さというものを保っておられるが、素寒貧となると、だれだってそうはいきませんて。素寒貧となると、もう人間社会からもう棒でたたき出されるだんでなく、ほうきで掃き出されてしまいますよ。<…>
あんたはネヴァの乾草舟にお泊まんなすったことがありますかな?」
 「いや、ありませんよ」とラスコーリニコフは答えた。「そりゃどういうことです?」
 「じつは…わたしはそこからやって来たんで、もう五晩めですよ…」
             
 
  マルメラードフの悲劇的な語りが始まる。あまりの生活苦から生まれる圧倒的苦しみ、悲しみ。人生の辛酸を嘗め尽くし、艱難辛苦したあげくに辿り着いた社会の落伍者という末路。あまりに哀れで痛々しい。ラスコーリニコフはどうであっただろう。彼はマルメラードフの悲哀をいかに感じていたであろう。
 ドストエフスキーの筆は容赦なくマルメラードフの絶望の相貌を暴き立てる。続けよう。


 「<…>(<…>は中略を示す。引用者注。)学生さん、あんたにこんなことはなかったかね…その…まあ早い話が、あてのない借金をしようとなさったことが?」
 「ありましたよ…でもつまり、どうあてがないのです?」
 「つまり、てんであてがないので。前からどうにもならないのを承知でやるんですな。たとえばだれそれは―その、志操堅固な公民で国家有用の材といわれるだれそれは、こんりんざい金なんか貸さんということが、前もってよくわかっている。だって、あんた、なんのために貸すわけがありますね、ひとつうかがいたいもんで?先方じゃわしが返さんことを承知しとるんですからなあ。そく陰の情からでも貸すだろうとおっしゃるんですかい?なあに新思想を追っているレベジャードニコフ氏などは、こんにち同情などというものは学問上ですら禁じられておって、経済学の発達しておる英国ではもうそのとおり実行しておるって、このあいだも説明してくれましたよ。そこでうかがいますが、そうとしたら、どうしてその先生が貸してくれます?ところがです、前から貸さんことがわかっておりながら、やはりのこのこ出かけて行く…」
 「なんのために出かけるんです?」ラスコーリニコフは言葉をはさんだ。
 「だって、だれのとこへも行くあてがないとしたら、どこへもほかに行く先がないとしたら!どんな人間にしろ、せめてどこかしらいくところがなくちゃ、やりきれませんからな。<…>わしのひとり娘がはじめて黄いろい鑑札をもって出かけて行ったとき、その時わしもやっぱり出かけましたよ…(というのは、娘は黄いろい鑑札で食ってるんで!)<…>
ときに、あなた、どうです―あなたはおできになりますかな…いや、もっと強く、もっと適切にいえばですな…おできになりますかじゃない、その勇気がおありになりますかな―今このわしを見ながら、わしが豚でないと断言するだけの勇気が!」


 マルメラードフの受難物語はその後、彼自身の苦境から彼の家族のそれへと移っていく。どん底の困窮の中、肺を患いながらも気位が高いために自尊心を失わず生活を続ける彼の後妻カチェリーナ・イワーノヴとその子供達の話。そしてマルメラードフの先妻との間でできたソフィア・セミョーノヴナ・マルメラードヴァの物語。

 
 「<…>カチェリーナは娘をつかまえて『このごくつぶし、お前はただで食って飲んで、ぬくぬくとすましているね』とやるんです。ところが、小さいやつらまで三日くらい、パンの皮一つ見ずにおるのに、飲むも食うもあったもんじゃない!その時わしは寝ておりましたよ…いや、おていさいをいったってしょうがない!酔っぱらって寝ておったんで―そして、ソーニャのいうことを聞いておると(それは口数の少ない娘でしてな、声もまことにおしとやかな小さな声です…白っぽい毛をして、顔はいつも青白くやせておる)、それがこういうのです。『じゃ、なんですの、カチェリーナ・イヴァーノヴナ、わたしどうしてもあんなことをしなくちゃなりませんの?』<…>
 『何をたいせつがることがあるものかね?大した宝ものじゃあるまいし!』という返事です。だが、あれを責めないでくださいよ。責めないでね、あなた責めないで!これは落ちついた頭でいったんじゃない。感情がたかぶって、おまけに病気で、飢えた子供らの泣き立てる中でいったことで、ほんとうの言葉の意味よりか、まあ、あてつけにいったことなんですからな…なにせ、カチェリーナはそうしたたちなんで、子供たちが泣きだせば、よしんばひもじくて泣くのでも、すぐひっぱたくというふうでしてな。」

 
  ソーニャはその後家族を救うために己の身体を犠牲にする。つまり公娼として働きに出るのである。
  仕事の後、家に帰ってきたソーニャは黙って銀貨三十ルーブリを置く。三十とは明らかにユダのイエス裏切りを意図した数字である。「銀三十枚」は裏切りと罪のシンボルであり、ユダの神への謀反と娼婦を生業とすることによるキリスト(教)の掟への離背が示される。『マタイ福音書二十六章十四節』をみてみると次のように書かれている。
  「そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、最司長たちのところへ行って、こう言った。『彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。』すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。」
 だが勿論ソーニャとユダを同列に置くことはできない。確かにユダもイエスを金で売ってしまったという罪の意識から自ら死を選び(『使徒行伝』では彼は事故死だったと記述されているらしい)、その行為をして贖罪の心を示すこととなるが、ユダも他の震え慄き逃げ出した使徒達もソーニャの神への愛の強さ、その崇高で気高く、慈悲そのものの精神に勝ることはないと思っている。彼女に対するドストエフスキーの愛もまた、彼のキリストに向けられる愛に勝るとも劣らない深甚なものである。それはドストエフスキーが彼女に「ソフィア」の名を与えていることからも伺える。彼にとってこの名は特別な意味をもっており、『悪霊』にでてくる聖書売りの女性や『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンとアリョーシャの母親もまたソフィアと名づけられており、極めて肯定的で聖女的存在者として登場させられている。
  ドストエフスキーにとっては、彼女の生き方こそが、「神とともに在る」という高遠で気宇壮大な思想の体現なのである。
  ドストエフスキーにとって神との内面的な結びつきは彼の人生の指針となるべき最も重要なことであった。つまりそれは「形式にこだわらない」ということである。この信仰の形式でなく内実という側面は『罪と罰』中のアリョーナとソーニャとの間でも明確に描かれている。
 たとえば、ロシア正教会の家庭では聖像が部屋の左に置かれる。そして、老婆アリョーナの家にも当然それはそのように置かれているが、ソーニャの部屋には何も置かれていない。形式に固執し、自らがなくなった後は、その遺産の全てを僧院に寄付し永代供養を望んだアリョーナはラスコーリニコフによって無慈悲に葬りさられ、淫売婦として形式的に神から離反してしまったソーニャは神の慈愛に包まれる。かかることからも、ドストエフスキーがいかに神への内面的結合を重視しているかが知られる。
 そもそも彼のジェスイット、プロテスタント批判(彼はカトリックのみでなくプロテスタントも非難していたようだ。)の根底には、形式に拘泥した、国家による神の利用という確信があった。それは民衆と乖離した政治的思惑と一部の権力者の利権が混濁した穢れた信仰ということをあらわす。
  娼婦となったソーニャが住んでいたアパートの家主の名は「カペルナウモフ」であり、これはイエスのガリラヤでの最初の宣教場所である「カペナウム」が重ねられている。『マタイ福音書四―十二』には以下のように書かれている。
ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムにきて住まわれた。<…>この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。』」
  こうみると、ソーニャはイエス・キリストのいう「天の御国」へ最初に迎えられる人物ということが運命付けられているようにすら感じられる。淫猥な仕事に従事し、姦淫の罪を犯しながらも神によって愛されるソーニャ。彼女の形而上的な苦悩はどこに存するのであろうか。
 
  さて、マルメラードフの長広舌はまだ終わらない。彼は国の温情で再び官吏としての職を得たが、その仕事も放擲してしまい、結局また酒に溺れ破滅してしまった経緯を語る。そしてソーニャからなけなしの金を受け取り一瞬の慰みとして飲む。飲む。飲み続ける。
  「おれが気の毒か!」と息巻く彼に向かって聴衆は「なんだってお前なんかを気の毒がることがあるんだ!」と罵倒する。いよいよ彼の弁舌はクライマックスを迎える。マルメラードフが語るキリスト教悪人正機説に耳を傾けてみよう。

 
  「なんのために気の毒がることがあるんだ?そうとも!わしを気の毒がるわけなんかもうとうないとも!わしなんか磔にせにゃならん人間だ。十字架で磔にするのがほんとうで、気の毒がるどころのものじゃないとも!しかしな、判事、磔にするのはいいが、磔にしてからわしをあわれんでくれ!そうすれば、わしのほうから進んで罰を受けに行くわ、わしは快楽に渇しておるのじゃなくって、悲しみと涙を求めておるのだからな!…やい、亭主、きさまはこの小びんがわしの楽しみになったと思うかい?わしはこの底に悲しみを求めたのだ、悲しみと涙を求めたのだ。そして、それを見いだしたのだ、味わったのだ。ただ万人をあわれみ、万人万物を解する神さまばかりが、われわれをあわれんでくださる。神は唯一人で、そしてさばきにあたる人だ。最後の日にやって来て、こうたずねてくださるだろう。『いじのわるい肺病やみの、まま母のために、他人の小さい子供らのために、われとわが身を売った娘はどこじゃ?地上に住んでおったとき、酔っぱらいでやくざものの父親をも、その乱行をもおそれずに、気の毒がった娘はどこじゃ?』それから、こうもおっしゃるだろう。『さあおいで!わしはもう前に一度お前をゆるした…もう一度お前をゆるしてやったが…こんどはお前の犯した多くの罪もゆるされるぞ、お前が多く愛したそのために…』こうして娘のソーニャはゆるされるのだ…ゆるされるとも、わしはもうわかっとる、きっとゆるされるに相違ない。わしは先ほどあの娘のところへ行ったとき、この胸ではっきりとそれを感じたのだ!…神さまは万人をさばいて、万人をゆるされる、善人も悪人も、知恵ある者もへりくだれる者もな…そしてみんなを一順すまされると、こんどはわれわれをも召し出されて」、『そちたちも出てこい!』と仰せられる。『酒のみも出てこい、いくじなしも出てこい、恥知らずも出てこい!』そこで、われわれが臆面もなく出て行っておん前に立つと、神さまは仰せられる。『なんじ豚ども!そちたちは獣の相をその面に印しておるが、しかちそちたちも来るがよい!』すると知者や賢者がいうことに、『神さま、なにゆえ彼らをお迎えになりまする?』するとこういう仰せじゃ。『知恵ある者よ。わしは彼らを迎えるぞ。賢なる者よ、わしは彼らを迎えるぞ。それは彼らのなかのひとりとして、みずからそれに値すると思うものがないからじゃ…』こういって、われわれのみ手に口づけして…泣きだす…そして、何もかも合点がゆくのだ!…そのときこそ何もかも合点がゆく!…だれもかれも合点がゆく…カチェリーナも…同様合点がゆくのだ…主よ、なんじの王国の来たらんことを!」
 
 
  まさに親鸞悪人正機説であるが、僕のなかではキリストの愛とはこのような「優しさ」である。イエスも『マタイ福音書九-十二』で次のように言う。「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。』『わたしはあわれみはこのむがいけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」